労働者の人権議論
の起点となる
国際的な枠組み – UPR
本記事では、ESGの『S』(ソーシャル)の主要指標にも含まれる「労働者の人権」のトレンドに着目します。特に労働者を含めた人権問題のトレンドの起点となる、国際議論の場として代表的な国連人権メカニズムとUniversal Periodic Review (UPR)の流れを参照し、労働者の人権課題への取り組みと企業活動との関連性を紹介します。
目次
国連人権メカニズムとUniversal Periodic Review (UPR)とは?
国連人権メカニズムとは
国連憲章第1条は、人権及び基本的自由の尊重を国連の目的として掲げており、設立以来人権の保護・促進に取り組んでいます(*1)。 そのために国連には人権に関わるテーマや機能毎に、様々な委員会・作業部会が存在します。世界人権宣言などの主要国連文書、国連人権理事会などの人権に関わる議論の場(人権フォーラム)を通じて、人権の保護・促進に取り組んでおり、これらは併せて「国連における主な人権保護・促進メカニズム(国連人権メカニズム)」と呼ばれています(*2)。
Universal Periodic Review (UPR)とは
その中の一つにUniversal Periodic Review (UPR:普遍的・定期的レビュー) があります。UPRは国連全加盟国(193ヶ国)の人権状況を普遍的に審査する枠組みとして、2008年に始まりました(*3)。193の国連加盟国全ての人権状況を審査する唯一の人権メカニズムであることからその重要性が認識されています(*4)。
国連加盟国にとってUPRは、4年半の周期で自国の人権状況を審査される場である一方、自国の人権状況を改善し、人権上の義務を果たすためにどの様な行動を取っているかを国際社会に向けて宣言する場ともなっています(*5)。
審査は、国連憲章、世界人権宣言、当該国が締結している人権条約、自発的誓約、適用されうる人権法に基づいて行われており、日本は2021年9月時点で以下の7つの国際人権条約を締結しています(*6)(*7)。
・国際人権規約(社会権規約、自由権規約)
・女子差別撤廃条約
・児童の権利条約
・人種差別撤廃条約
・拷問等禁止条約
・強制失踪条約
・障害者権利条約
UPRは現在第3周目に入っており、これまで日本は2008年5月、2012年10月、2017年11月に審査を受けました(*6)。
UPRで議論される人権問題とESG・SDGsとの関係
この国連人権メカニズムとUPRは、一見企業活動と関係していない様に見えるかもしれませんが、近年、企業に対してより責任のある行動を自主的に取ることが求められるようになっている背景を鑑みると、国際的な人権問題に対するガイドラインに数年後に繋がってくる可能性のある、先端議論の場として、国連人権メカニズムとUPRでの議論内容はESG経営、SDGsと密接に関連しています。
以下では、国連人権メカニズムやUPRで議論されている人権問題と企業活動との関連性をESG, SDGsの観点より見ていきます。
人権問題に関連するESG指標
当ESG Insightシリーズ『ウイグル地区での人権問題からみるESGとビジネスの関係』で取り上げたように、世界の代表的な投資機関が投資先を選定するにあたって参考とするESG指標は数十とありますが、そのうち多くの指標が人権問題を含む労働に関するものを採用・重視しています。
例えば、MSCI(モルガン・スタンレー・キャピタル・インターナショナル)社は世界的にベンチマークとされている指数を算出していますが、そのうちのMSCI日本株人材設備投資指数では「人材管理及び労働者権利に関する不祥事」の有無が初期のフィルタリングに含まれています。
つまり、該当する不祥事により一定基準を下回るスコア評価を得た企業は指数そのものから除外されてしまうのです。また人権に対する取り組みを評価する「企業人権ベンチマーク(CHRB:Corporate Human Rights Benchmark)」も注目されています。CHRBは大手機関投資家とNGOが設立したビジネスと人権に関する国際的なイニシアティブです。2020年11月に公開された2020年度版ベンチマークでは、GHG排出削減目標の策定等を通じて環境面で評価されてきた自動車業界のスコアが過去最低を叩き出し、人権に関する取り組みの必要性が浮き彫りとなりました (*8)。
人権問題とSDGsとの関わり
ここまでESGについて触れましたが、次に、近年注目されているSDGsとの関係性についても考察したいと思います。SDGsは社会全体や各業界が目指すゴールであることに対してESGは企業単位の評価指標であるため、各企業における活動の定性的な評価はSDGsを用いた議論によっても行うことができますが、目標や実績を定量的に議論するためにはESG指標に基づいた分析や考察がより重要になります。
具体的には、SDGsは国連によって採択された、2030年までに貧困撲滅や格差の是正、気候変動対策など国際社会に共通する17の大きな目標と、17の目標を達成するための具体的な169のターゲットで構成されています。デンマーク人権研究所の調査では、SDGsの169のターゲットのうち、90%以上は実質的に人権と労働基準に関連しているとされ、SDGs及びESGの実施は人権擁護と連関させて取り組むべきとされています(*9) 。また国連人権高等弁務官事務所(UNOHCHR)はSDGsと関連する人権文書の対照表を公表しており、そこでは各目標に対して少なくとも2~6の国際人権文書との関連性が明示されています(*10) (*11)。
SDGsがより持続可能な社会を目指すマクロな目標であるのに対し、ESG指標はSDGs達成に向け、よりミクロに各企業レベルの取り組みを測ります。
UPRと日本におけるESG・SDGsに関する政策・ガイドラインとの関係
(過去の事例に基づく考察)
ここからは、ESGの観点を用いて、国連をはじめとする国際枠組みでの議論が各企業にどのような事業インパクトを与えるかについて、事例を基に深掘りしたいと思います。
事例1) ビジネスと人権
直近の2017年11月の審査において、日本は35テーマに渡り217の勧告(Recommendations)を受けました(*12)。勧告テーマは難民問題から教育まで多岐に渡りますが、企業活動と関連の深い勧告の一つとして「テーマB6:ビジネスと人権」が挙げられます。ここで日本は、ビジネスと人権に関する国内行動計画を作成するよう勧告を受けました(*13)。
“Consider a possibility of establishing a National Action Plan on Business and Human Rights, pursuant to the Guiding Principles adopted by the Human Rights Council” (人権理事会の採択した指導原則に準じた、ビジネスと人権に関する国内行動計画を作成する可能性を検討すること)
これを受けて、その後日本政府は2020年に「ビジネスと人権に関する行動計画(2020-2025)」を策定しています(*14)。この行動計画では、「ビジネスと人権」に関して、今後政府が取り組む各種施策が記載されているほか、企業に対し、企業活動における人権への影響の特定、予防・軽減、対処、情報共有を行うこと、人権デュー・ディリジェンスの導入促進への期待が表明されています。
もちろんこうした議論は2017年に突然始まったわけではなく、日本でもビジネスと人権に関するトピックは以前から議論されており、UPRでの勧告も、2016年に政府が行動計画の策定を決定した背景が影響しています(*14と同じ)。ところが、UPRで明確に勧告を受けた2017年の3年後に新たなガイドラインが出ている事実を見ると、UPRで勧告を受けた項目が政策やガイドラインとして現れるまでの期間を数年(次の審査が回ってくる4.5年以内)の目安として見ることもできるのではないでしょうか。
事例2) 障がい者の人権
他にも「テーマF4:障がい者の人権」では、障がい者雇用に関連する措置の継続が求められました。
“Continue with encouraging the private business sector to continue undertaking relevant measures to employ persons with disabilities, in accordance with the domestic law provisions” (国内法の規定に従って、民間事業部門に障害者雇用関連措置の実施を継続するよう慫慂し続けること。)
この勧告がなされた背景の一つとして、日本における障がい者雇用率の低さが挙げられます。2017年当時、日本での障がい者の法定雇用率は2.0%でしたが、同時点でのドイツの法定雇用率は5.0%、フランスは6.0%でした(*15)。
この勧告の後、日本では2021年3月に障がい者の法定雇用率が2.2%から2.3%へ0.1%引き上げられ、更に対象となる事業主の範囲も45.5人から43.5人へ引き下げられました(*16)。
日本政府は同2017年5月に、UPR(11月)に先立ち法定雇用率の段階的な引き上げを発表していましたが、最終的な2021年の引き上げがUPR後に行われた事実を見ると、この事例でも、UPRで受けた勧告と日本の政策及び企業活動のガイドラインとの関連性が伺えます。
一方、ジョブ型雇用制度が推進されているアメリカやイギリスでは、雇用義務制度を設けること自体が障がい者の能力を強調して逆に差別に繋がる、という考えから同制度を採用していません。このような国々に対しては、制度自体を設けるか、何かしら障がい者が職場へ参加しやすくなる措置を設ける趣旨の勧告がなされています(*17)(*18)。
事例3:女性の地位向上とジェンダー平等
最後に、今や世界的潮流の一つとなっている、女性の活躍とジェンダー平等の実現についてです。先に紹介したSDGsでも「ジェンダー平等の実現と女性・女児の能力強化は、すべての目標とターゲットにおける進展において死活的に重要な貢献をするものである」とされており、この考えを踏まえて国際社会においては、各国政府が行うあらゆる取組において常にジェンダー平等とジェンダーの視点を確保し施策に反映していく「ジェンダー主流化」が進んでいます(*19)。UPRでも女性の権利向上について「テーマF11:女性の活躍」「テーマF12: 女性差別」「テーマF13:女性への暴力」など複数のテーマ設定、議論がなされていますが、直近のUPRにおいて日本が受けた勧告はこれらのテーマに留まりません。「テーマE31:労働者の権利」で受けた4つの勧告は全て、社会活動での女性の地位向上とジェンダー平等に関連するものでした。下記はそのうちの一つです。
“Increase the support for the presence of women in the workplace with active policies for the promotion of employment and reconciliation measures that allow for this” (積極的な雇用促進策及びこれを可能にする調和策によって、職場における女性の存在に対する支援を高めること。)
日本はこれまでも積極的に「女性の力」の活用に取り組んできました。また国内の取り組みだけでなく、諸外国への支援も含め、国際社会での女性の地位向上に貢献してきました。例えば、政府開発援助(ODA)ではジェンダー分野への支援を強化してきています(*20)。2014年からは世界の様々な地域、国際機関から女性の分野で活躍するトップ・リーダーが参加し、日本及び世界における女性のエンパワーメント、女性の活躍促進のための取組について議論を行う「国際女性会議WAW!(World Assembly for Women)」を開催し(*21)、更に、国連においてジェンダー平等と女性のエンパワーメントの達成を目標とする唯一の専門機関である国連女性機関(UN Women)では2011年の創設時より執行理事国を務めています(*22)。
それでも尚、同テーマに対する勧告がなされるのは、先に述べた世界的潮流に加え、日本国内における政治、経済面でのジェンダーギャップが大きいことによります。
世界経済フォーラムが2021年3月に公表した「ジェンダーギャップ指数2021」(*23)では、日本の順位は156か国中120位で、主要7カ国(G7)で最も低い順位となっています。特に政治、経済での順位が低く、「経済」の順位は156か国中117位でした。この理由として、管理職の女性の割合が低いこと(14.7%)、女性の72%が労働力になっている一方パートタイムの職に就いている女性の割合は男性のほぼ2倍であり、女性の平均所得は男性より43.7%低くなっていることが指摘されています(*24)。
この勧告の後、2019年には女性活躍推進法の改定がありました(*25)。
この改定では、一般事業主行動計画の策定・届出義務及び自社の女性活躍に関する情報公表の義務の対象が、常時雇用する労働者が301人以上から101人以上の事業主に拡大され、女性活躍に関する情報公表の基準も強化されました。この事例も、既存の法律の改定という意味では全く新しいテーマが出てきたということではありませんが、改定の方向性や程度感について、この事例でもまた、UPRで受けた勧告と日本の政策及び企業活動のガイドラインとの関連性が伺えます。 この様に、UPRでの勧告が各国の政策にもたらす影響は決して小さなものではなく、UPRで受けた勧告に関連する政策を参照することは、次の審査が回ってくるまでの向こう4,5年以内の日本の政策の変化及びそれに伴う企業への潜在的インパクトを考察する際の目安となり得ると言えます。
ESG情報を自社の企業価値向上に効率的に繋げるために
本記事では3つの事例を取り上げましたが、この様にESGの『S(Social:社会)』のトレンドの起点となる国際議論の枠組みを把握することは、企業のESG経営において非常に重要です。また、ESG経営や投資を通じて、自社の企業価値を高める機会を増やし、あるいは企業価値を毀損するリスクを低減したいと考えておられる企業は多数あるかと思います。ではどうやってその機会やリスクを低減することができるでしょうか。
まずは、その機会やリスクを正しく把握することが非常に重要になります。但し、正しい把握のためには長期的利益の観点で、自社だけではなく、他社や他業界を含めた多数のESGデータを比較分析していくことが必要になります。
他方、ESG指標は代表的なものだけでも国内海外に数十とあり、それぞれの指標で数十以上の評価項目が設定されています。また、これらの指標基準も毎年アップデートされています。従って、国内海外のESGトレンド及びそこから波及する自社への事業リスクや機会を体系的に「広く」把握し続けることは多くの企業にとって容易ではありません。
また、把握したトレンドやESG指標を自社の事業データと関連付けて定量的に考察し、自社の事業戦略に繋げる「深い」分析も多くのデータ処理や工数が必要になります。ESG指数の『S』という個別要素に目を向けても、様々な指標と計算手法があり、分析が複雑に構造化されています。
こうした「広く」「深い」分析アプローチを効率的に行うためには、各社がそれぞれで調べて対応するより、ノウハウを集約した専門家部隊が実行した方が不要な工程を削減し、また同じ工程を行う速度も速いため、極めて効率的かつ効果的となります。
本記事では1つのESGトレンド事例を抜粋して紹介しましたが、クオンクロップでは、外資系戦略コンサルティングファーム出身者を中心としたESG経営データ分析の専門家チーム及びAIを含む独自の分析ノウハウを活用し、各企業が「選ばれる」ために必要十分なESG活動量を把握し改善を支援する「ESG/SDGs経営度360°診断&改善支援」などのサービスを提供しております。
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クオンクロップESGグローバルトレンド調査部
引用文献
*1
https://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/
*2
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken.html
*3
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken_r/upr_gai.html
*4
https://www.unicef.org/media/75361/file/Engagement-Toolkit-UPR.pdf
*5
https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/hr_bodies/hr_council/
*6
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken_r/upr_gai.html
*7
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken.html
*8
https://cuoncrop.com/2021/07/07/uighurhumanrightsesg/
*9
*10
https://www.ohchr.org/en/issues/SDGS/pages/the2030agenda.aspx
*11
https://www.ohchr.org/Documents/Issues/MDGs/Post2015/SDG_HR_Table.pdf
*12
https://www.ohchr.org/en/hrbodies/upr/pages/jpindex.aspx
*13
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000346504.pdf
*14
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_008862.html
*16
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/shougaishakoyou/index.html
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https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/UPR/Pages/gbindex.aspx
*18
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/UPR/Pages/USindex.aspx
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https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/women/index.html
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https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/bunya/gender/initiative.html
*21
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/pc/page23_002346.html
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https://www.un.emb-japan.go.jp/jp/topics/human_right.html
*23
https://www.weforum.org/reports/ab6795a1-960c-42b2-b3d5-587eccda6023
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https://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2021/202105/202105_05.html
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https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000091025.html