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乱立するESG指標:
人材育成の見られ方

本記事では、ESG投資の世界的な興隆に伴い乱立するESG指標に関して、指標間の評価対象・手法の違いや近未来に導入が一般化されうる項目について解説します。今回は、ESGの『S』(社会)における主要な指標の一つである「人材育成」に注目します。

進むESG投資とその指標の複雑性

世界的にESG投資やグリーン・ファイナンスへの関心が高まっています。ESG投資とは「従来の財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した投資」のことを指します。

世界の代表的な投資機関が投資する企業を選ぶ際に参照しているESG指標は代表的なもので国内海外に数十とあり、それぞれの指標で数十以上の評価項目が設定されています。また、個々のESG 評価機関によってESG データの評価対象や評価手法は異なり、さらにこれらの評価基準は毎年アップデートされています。

本記事では、ESGの『S』における主要な指標の一つである「人材育成」について、「研修」の定義やデータの粒度等の観点から、各指標間での評価対象・手法の違いを通して解説します。人的資本は、企業に価値を生み出す無形資産の一つであり、そこに関わる人材育成は、企業の持続可能性へと繋がっています。

主要評価機関におけるESG評価項目の違い

ESG投資の文脈で参照される主要評価機関は複数ありますが、これら機関が提供するESG指標は、同じテーマでも評価の対象・手法の違いから評価項目が異なるケースが多々見られます。

人材育成の定義

人材育成は、従業員のための研修や制度の総称として使われています。

まず、The Global Reporting Initiative(*1)が提供するGRI Standards Index(以下、GRI指標)(*2)における「人材育成」は、組織が従業員に提供するあらゆる種類の職業訓練及び教育が、組織による費用負担や有給休暇等によって実施されることを指します。尚、実務能力の習得を目的とし、上司や先輩が部下や後輩へ職場で行う実務指導 (On-the-Job Training)は研修に該当されないとしています。

同様に、2020年にS&Pグローバルに買収されたRobecoSAMのESG調査部門(*3)が提供するSAM Corporate Sustainability Assessment(CSA、コーポレートサステナビリティ評価)(以下、SAM指標)(*4)は、広義に使われる「人材育成」の中でも、従業員の能力向上や改善を目的とするものをEmployee Development Programs(従業員開発プログラム)と呼び、内容例として職種別の技能開発、リーダーシップ、コーチング、マネジメントを挙げています。それらは、若手社員や営業幹部といった対象を特定した場合もあるほか、従業員が業務を遂行し、一定の最低要件を満たす上で必要とされる研修は該当しないことと明記されています。該当しないものには、コンプライアンス、OHS(Occupational Health and Safety)、職場セキュリティ等に関する研修の他、新しい役員向けの役員研修、新卒研修、インターン生研修、社内勉強会の設置、eラーニングのライセンス購入等が含まれます。

一部評価機関では、上記のような各産業に特有のスキルや業務内容とは異なる従業員のための取り組みを、人材育成としてみなしています。Sustainability Accounting Standards Board(サステナビリティ会計基準審議会)が提供するSASB Standards(以下、SASB指標)(*5)は、企業の情報開示と投資家のESG観点からの意思決定を促進することを目的に、ESGの評価基準を提供しています。SASB指標は、人材研修として、職場の安全や健康管理、リスク対策、コンプライアンスといった労働基準に関わる内容のほか、偏見や差別、マイクロアグレッション、ハラスメントを含む文化的規範に関わる内容を挙げています(*6)。

その他、従業員のキャリアを支援する企業の取り組みを人材育成として扱う評価機関も存在します。経済産業省が提供するなでしこ銘柄(*7)は、女性活躍推進に優れた上場企業に付与されるもので、女性の活躍の観点から、企業内の人材育成活動を評価します(*8)。女性管理職や取締役を増やすための取り組みとして、管理職や次世代幹部候補に対する研修、職場環境整備や適切なマネジメント促進等の実施の有無を評価項目として設けています。これに加えて、女性に限らない一般従業員の意識改革やキャリア形成・キャリアアップの支援を目的とした取り組みの有無も評価対象としています。その例には、国内外の大学・大学院への進学・留学、ボランティア等による休暇/休職を認める制度、 キャリアアップのための兼業・副業を認める制度、大学院進学支援の費用補助・有給付与等が含まれます。尚、ここでカウントされる研修は対象者が必須参加となっているものに限るため、自由参加の研修や講演会への出席、団体への所属は対象外となっています。

費用と時間

多くの評価機関は、企業が人的資本にどの程度投資しているかという観点から、人材育成に費やした時間と費用を評価対象としています。

GRI指標は、従業員一人あたりの年間平均研修時間について、性別、職位(上級管理職、中間管理職等)、職務機能(技術、総務、製造等)の区分別に従業員の総計から算出します。

SAM指標は、従業員一人あたりの年間平均研修時間に加えて、一人当たりの研修費用を評価項目としています。この算出には、研修を担当する部署の運営費や給与が省かれます。

MSCI(モルガン・スタンレー・キャピタル・インターナショナル)社は世界的にベンチマークとされている指数を算出していますが、そのうちのMSCI日本株人材設備投資指数(以下、MSCI指標)(*9)では、上記項目に加えて、従業員一人当たりの研修日数も評価対象としています(*10)。

労務管理

適切な労務管理は、従業員の効率性、生産性等、イノベーションの根底にあることから、多くの評価機関において人材育成は、労働安全衛生、多様性等と並列される労務管理の一観点として位置付けられています。

Sustainalyticsが提供する指標であるESG Risk Ratings(*11)では、20のMaterial ESG issuesのうちの一つとして、「人的資本」を取り上げています。「人的資本」は、人事部による従業員の管理を必要とすることから、「人材育成」のほか「採用」、「多様性」、「労使関係」等が包含されています(*12)。企業による人材育成の取り組みへの参加機会は、人種や性別、職務区分の異なる従業員を抱える職場において、公平かつ公正な制度(機会均等性)が担保されているかを評価する尺度となっています。

同様に、前節で取り上げたGRI指標、SAM指標、MSCI指標の3つの評価機関は、共通して従業員全体のうち研修を受けた従業員の割合を問います。

そのほか、労働者権利の視座から、人材育成を評価項目として設置する評価機関も見られます。企業に対し、サプライチェーン全体に渡るモニタリングが求められるようなっている世界的な潮流を反映するものだと言えます。

Arabesqueが提供するS-Ray(以下、S-Ray指標)(*13)は、正社員及びサプライチェーン全体の従業員に費やされた研修時間と費用を評価対象としています(*14)。S-Ray指標では、人材育成の例として、正社員向けのスキル向上を目的とした研修のほか、サプライヤー向けのESGに関する研修があげられています。

FTSE Russellが提供するESG Ratings (以下、FTSE指標)(*15)では、社会ピラーの4カテゴリー「健康と安全」「労働基準」「人権と地域社会」「サプライチェーン」それぞれで、各カテゴリーに関する内容を扱う研修の実施が評価されます(*16)。これらは、近年の労働者人権にまつわる議論の国際動向を反映することを目的として、2019年に修正・追加されました(*17)。

近未来に普及する可能性のある先進的なESG評価項目

人材育成に関連するESG指標の中には、現時点では特定の評価機関のみが導入している指標も存在します。これらは先進的な指標であり、近未来での導入可能性を考慮する必要があります。

人材育成の成果

多数の評価機関は、人材育成に投入された資金や人員等のインプット、企業の取り組みの内容、作業結果等のアウトプットにとどまらず、それらが企業業績や従業員のキャリアへ寄与した程度等から人材育成の成果に着目しています。

SAM指標の質問票には、企業が自社で実施する人材育成プログラムを挙げ、その目的、それが企業へもたらす利益について記述する欄が設けられています。それと合わせて、従業員のエンゲージメント、離職率、効率性、生産性、売上高、社内昇進、従業員定着等も目を向け、全体像を把握した評価を目指しているとしています。ここでは、企業が人材育成の効果を定性的・定量的に把握し、主体的に人材を管理する能力を有するか審査されます。当項目は、企業の業績に貢献し、戦略的目標の達成に役立てる、という人材育成の根本的な意義を確認するものでもあります。

GRI指標の「人的資本」項目には、職場でのパフォーマンスとキャリア開発に関して定期的なレビューを受けている従業員の割合を問う項目が設けられています。この項目は、人材育成の取り組みによる従業員個人の能力の向上の程度、それによる企業全体の人的資本への貢献の程度といった企業の人材管理を検討します。企業は、人材育成への投資が従業員のスキルセットおよびパフォーマンスへどのように還元されているかをモニタリングするほか、より有効的な人材育成の内容および制度設計をすることが望ましいとされています。

なでしこ銘柄の質問票では、女性の管理職や取締役を増やし、従業員個々人のキャリア形成を支援する研修や支援制度についての箇所と併せて、年度ごとの昇進における男女比率や人数を問う箇所があります。人材育成の実施は、それが目的とする女性登用という目標の達成にどの程度貢献したか、という関連性を評価するものと言えます。

従業員の健康管理に関する人材育成

従業員の健康の重要性について、新型コロナウイルスの世界的拡大も相まって、その認識は一層高まっています。このテーマは、身体的な健康と同様に精神的な健康も含みます。一部評価機関では、従業員の健康に関する知見の向上を目的とした研修の実施を評価対象としています。その背景には、健康管理に優れた人材の育成が、健康で有能な従業員の確保、離職率の低下、持続的な企業成長等に貢献することが挙げられます。

SASB指標は、安全で健康的な職場環境を作り、維持する企業の能力を評価するにあたり、人材育成を通した規範や企業文化の促進努力を評価対象としています(*18)。

経済産業省が提供する健康経営銘柄(*19)は、企業における健康への取り組みが、長期的な企業価値の向上に重要であるという立場から、「健康経営」に優れた企業を選定します。質問票では、管理職が、従業員の健康保持・増進施策について教育する内容やその頻度、従業員を対象にしたメンタルヘルスやがんの予防等の健康保持・増進に関する教育の実施の有無を評価対象としています。尚、ここでの研修及び教育には、e-learning、健康知識等の向上に関する検定等の受講・取得支援、心身の健康増進を目的として企画された旅行(ヘルスツーリズム)等が想定されており、啓発書類の配布のみは該当しません。

その他議論・検討段階のESG評価項目

以下では、人材育成の文脈において議論が進んでいるテーマについて紹介します。現在はESG評価機関によって導入されていないものの、将来的に評価項目の一部に含まれる可能性があります。

労働需要の変化への対応

デジタル化や自動化をはじめとした技術革新は、各産業において、特定のスキルをもった人材の不足をもたらし、従業員のアップスキルとリスキルの必要性を高めると言われています。アップスキルは、現在の職務においてより適切な人材となるための追加のスキルの習得、リスキルは「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するため」の新しいスキルの習得を指します(*20)。世界経済フォーラム(WEF)は、テクノロジーのさらなる導入、コミュニケーションや共感といった対人関係に関わるスキルの需要拡大に伴い、2030 年までに 10 億人以上の人々が新たなスキルを獲得することを予測しています(*21)。

SASBの報告書は、STEM教育を受けた人材をはじめとする特定のスキルセットの需要が高まり、労働力の不足や競争が生じることを予測しています(*22)。その他、適切な能力開発を目的とした人材育成への注力は、企業の競争力と戦略性に貢献することが研究で明らかになっています。こうした動向により、人的資本への投資を通した従業員の再教育やスキルアップ等が、企業のイノベーション、生産性、効率性にとってますます重要になると言えます。

多様な労働者に対する人材育成

近年における人権への関心の高まりと新型コロナウイルスの世界的流行は、企業の目的、ESGの取り組み、ひいては人材に関する議論の進展の契機となりました。企業の関心は、短期的な利益から、従業員や顧客の安全と健康、労働環境における柔軟性の確保、サプライチェーンの支援と維持といった長期的ESG観点にまで及ぶようになっています。それと並行して、多くの投資家は、企業に内在するリスクの要素を評価する上で、企業がどのように人材を認識し、管理しているかについて一層注目する傾向を強めています。

労働力の需要の量的・質的変化に加え、労働形態や環境の多様化が進んでいることから、そうした多面的な働き方が主要指標に反映される可能性があります。例えば、アウトソーシング、契約社員、フリーランス、ギグワーカー、クラウド・ワーカー等、業界や職務の枠を超えた代替労働者は、多くの企業にとって経営に欠かせない存在となっています(*23)。

McKinsey Global Instituteは、2030年までに4億人の労働者が自動化によって職を失い、自動化の導入が加速すれば最大で8億人の労働者が職を失うリスクにさらされると推定しています(*24)。 多くの企業が様々な形態の人的資本を抱えるようになったことで、従来の人材管理のあり方を見直す契機が高まっています。企業による人材育成への投資は、従業員のエンゲージメントや満足度を高め、結果として全体的な仕事の質を向上させます。産業界全体で、「選ばれる」企業となるために、人材育成がより重視されています。

ESG情報を自社の企業価値向上に効率的に繋げるために

本記事で取り上げたように、既存のESG指標間でのばらつきや先進的なESG指標を把握することは重要です。またESG経営や投資を通じて、自社の企業価値を高める機会を増やし、あるいは企業価値を毀損するリスクを低減したいと考えておられる企業は多数あるかと思います。ではどうやってその機会やリスクを低減することができるでしょうか。

まずは、その機会やリスクを正しく把握することが非常に重要になります。但し、正しい把握のためには長期的利益の観点で、自社だけではなく、他社や他業界を含めた多数のESGデータを比較分析していくことが必要になります。

他方、ESG指標は代表的なものだけでも国内海外に数十とあり、それぞれの指標で数十以上の評価項目が設定されています。また、これらの指標基準も毎年アップデートされています。従って、国内海外のESGトレンド及びそこから波及する自社への事業リスクや機会を体系的に「広く」把握し続けることは多くの企業にとって容易ではありません。

また、把握したトレンドやESG指標を自社の事業データと関連付けて定量的に考察し、自社の事業戦略に繋げる「深い」分析も多くのデータ処理や工数が必要になります。ESG指数の「G」という個別要素に目を向けても、様々な指標と計算手法があり、分析が複雑に構造化されています。

こうした「広く」「深い」分析アプローチを効率的に行うためには、各社がそれぞれで調べて対応するより、ノウハウを集約した専門家部隊が実行した方が不要な工程を削減し、また同じ工程を行う速度も速いため、極めて効率的かつ効果的となります。

本記事では1つのESGトレンド事例を抜粋して紹介しましたが、クオンクロップでは、外資系戦略コンサルティングファーム出身者を中心としたESG経営データ分析の専門家チーム及びAIを含む独自の分析ノウハウを活用し、各企業が「選ばれる」ために必要十分なESG活動量を把握し改善を支援する「ESG/SDGs経営度360°診断&改善支援」等のサービスを提供しております。

ESG経営分析のチームが社内に既にあり、ESG経営を既に推進している企業様における分析の効率化のみでなく、ESG経営分析のチームは現状ないものの、これからESG経営に舵を切る必要性を感じておられる、比較的企業規模が小さい企業様に対しても活用いただけるサービスです。ESG経営の効率的な加速のための、科学的かつ効率的な分析アプローチにご関心のある企業様は、是非クオンクロップまでお気軽にお問い合わせください。

クオンクロップESGグローバルトレンド調査部

*1

https://www.globalreporting.org/

*2

https://www.globalreporting.org/how-to-use-the-gri-standards/resource-center/?g=c769ec3e-a780-45eb-ac6e-157dffaec854&id=7990

*3

https://www.jpx.co.jp/corporate/sustainability/esgknowledgehub/esg-rating/04.html

*4

https://portal.csa.spglobal.com/survey/documents/SAM_CSA_Companion.pdf

*5

https://www.jpx.co.jp/corporate/sustainability/esgknowledgehub/disclosure-framework/03.html

*6

https://www.sasb.org/wp-content/uploads/2020/12/Human-Capital_Preliminary-Framework_2020-December_FINAL.pdf

*7

https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/diversity/nadeshiko.html

*8

https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/diversity/r3chousahyou.pdf

*9

https://www.msci.com/documents/1296102/3556282/ファクトシート_MSCI日本株人材設備投資指数.pdf/b32e29ee-8d93-4a0f-b8e6-04740496591a

*10

https://www.msci.com/eqb/methodology/meth_docs/JP_Human_Physical_Investment.pdf

*11

https://www.sustainalytics.com/esg-data

*12

https://www.sustainalytics.com/esg-research/resource/investors-esg-blog/the-future-of-human-capital-rising-on-the-agenda

*13

https://www.jpx.co.jp/corporate/sustainability/esgknowledgehub/esg-rating/07.html

*14

http://arabesque.com/docs/sray/S-Ray%20Methodology%20v260.pdf

*15

https://www.jpx.co.jp/corporate/sustainability/esgknowledgehub/esg-rating/02.html

*16

https://research.ftserussell.com/products/downloads/FTSE-ESG-Methodology-and-Usage-Summary-Full.pdf

*17

https://www.jpx.co.jp/corporate/sustainability/news-events/nlsgeu000004ojj0-att/FTSE_ESG_Rating_j.pdf

*18

https://www.sasb.org/wp-content/uploads/2020/05/HC-Briefing-Document_FINAL-for-web.pdf

*19

https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/kenkoukeiei_yuryouhouzin.html

*20

https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/digital_jinzai/pdf/002_02_02.pdf

*21

https://www.weforum.org/agenda/2020/01/reskilling-revolution-jobs-future-skills/

*22

https://www.sasb.org/wp-content/uploads/2020/12/HumanCapitalBulletin-112320.pdf

*23

https://www2.deloitte.com/content/dam/Deloitte/jp/Documents/human-capital/hcm/jp-hcm-global-hc-trends-2019-the-alternative-workforce.pdf

*24

https://www.mckinsey.com/featured-insights/future-of-work/jobs-lost-jobs-gained-what-the-future-of-work-will-mean-for-jobs-skills-and-wages

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